武相荘、という白洲次郎が妻である正子と晩年を過ごした家で、いまは一般に開放しているお家があります。これまでかれこれ3度訪れました。春には春の、夏には夏の..と季節の植物と情緒が見られる、こじんまりとしていて本当に心が落ち着く場所です。
1人で行っても楽しめるので、心を落ち着けたいという時にオススメ。
武相荘だよりというメルマガを購読していて、いつもいつも納得することが書いてあり、ウンウンとうなずきながら読んでおりますが今回は本当にうなずきまくりました。
こちらを勝手に転載させていただきます。
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この頃の学校トラブル報道を聞くにつけ、一部の親は学校に過度の期待をし、家庭における
それ以前の躾を放棄しているとしか思えません。
そんな中で、不人気になった大相撲が始まり“横綱の品格”が問題になって、世の中
品格流行りですが、50年以上前に白洲が“アマとプロ”という随想を新聞に書いているのを
見つけました。
それは春の六大学野球で、選手が審判をこづき出場停止になった件で、白洲は不愉快な
出来事だがあながち選手だけを攻める気にはなれず、そもそもの原因は近年プロとアマの
スポーツを混同しているからで、プロスポーツは他に適切な言葉が無いがスポーツではなく
見世物に過ぎないと言って居ります。
プロの技術は当然のことながらアマより格段高く正に見るに耐えるべきですが、白洲曰く、
その目的は全然違ったものだと言う認識を当事者も一般の人も持つべきで、ジャーナリズム
も協力して啓蒙すべし、いっそ英国のようにその競技に関する限りアマは紳士であって、
プロは芸人であるとの建前に戻ったらどうだと書いております。
ちょっと言い過ぎの感もありますが、殺し合いの技を精神の鍛錬によって武道に仕上げた
日本の文化は大切にしながら、いっそ相撲は国技などと言わず、この頃は“しょっきり”も
下手になったねえ、と鍛錬したプロの技を気楽に愉しんで見ては如何でしょうか。
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そのとおり!次郎氏の大人っぷりのわかる随想ですね。
スポーツ、って横文字を使った時点で何か違っちゃったんじゃないでしょうか。
相撲だってもともと神事ですしね。八百長もくそもないわけです。
八百長だ~っって騒ぐのはスポーツだという認識に立ってるからですよね。う~ん。
柔道だって「スポーツ」という枠組みに入れてしまって何かが崩れた気がします。
いつだったかどこかの国の人間が柔道の前の「礼」をしないと言う場面をTVで見ました。
柔道という型を輸入した時に、武道で大切なその芯にある精神までは取り入れなかったんですね。
もちろん全員が全員無礼だということではありませんが、その無礼なバカ外人には呆れてしまいましたよ。
話は少しずつそれますが
去年NYでたくさんの日本料理屋を見ました。
さらにそこには名だたる純米酒がズラーーーーーーーっと並んでいたのです。
もちろん出てくる料理は和食です。ですが和食や日本酒に込められた一万年以上に渡る日本人の知恵に基づいているということや精神性までは輸出できていなと感じました。捕鯨問題など出てくると余計そう思います。
米の一粒一粒に神が宿る...ってことを考えながら作ってるんだぜ、等くらいは言った方がいいと思うのですよね~。
そして神をGODと訳すのもやめたらどうかしら?と思うのです。神を
KAMIとか
KAMISAMAとかにして日本語のままで紹介する。
そうするとジーザスとぶつかることなくご紹介できるのではないかしら?

というわけで昨夜の旨かった日本酒、御湖鶴(みこつる)。諏訪の酒。
初代創業者が諏訪湖に飛来した鶴を夢に見てつけられた名前だそうです。縁起イイ。そして旨い!
可愛い酒器。酒を変えるたびに自分で好きなお猪口を選べるのです。銀座の「おかだ」というとても美味しいお店でいただきました。
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